Cherry Coke$ / Rouse Up

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基本はバグパイプ、ホイッスルなどを取り入れたPogues~THE REAL McKENZIESあたりを網羅する和製アイリッシュ・パンクバンドなんですが、前述の要素を取り入れた邦楽バンドは今までたくさんあったもののスタイルだけでなく「血が沸く」という部分まで継承しているバンドはなんか久々というイメージもあって、これがそこはかとなく楽しいアルバムです。
話が逸れるんだけど、古今東西のパンクバンドにおける「カバー曲」という存在は、本当に難しいなと思っていて。ライブという瞬間の余興としての「カバー」だったら合点がいくけど、例えばカバー曲を収録したアルバムって、ライナーノーツに「○○(バンド名)の××(曲名)のカバー収録!」とか必ず入ってるじゃないですか。他人のふんどしがリード曲になっているという事実は本人たちにとってどういう気分なのかなぁ、と。
と思えば、クラッシュみたいに「アイ・フォート・ザ・ロウ」はカバー曲にもかかわらず、オリジナルの風情すら漂わせるものもあったりするわけで。これがヒップホップとかだとちょっとまた話が違うんだろうけど。

特にハイスタが天下とって以降の日本のパンクはみなこぞって有名曲のカバーやってた時期があったじゃないですか。最終的に「贈る言葉」を歌うFLOWが出てきて、おかしな状態に陥ってしまったけど。

で思うのは、カバーという手法は、パンクに許された最後のお家芸だと思うんですね。お家芸って言葉がわかりにくかったらユーモアでもいいや。それこそシド・ヴィシャスだって「マイウェイ」唄ってたわけだし。まぁFLOWとシドを一緒にすんな、って話はおいといたとしても、やっぱりカバー曲って盛り上がるし。

なんでこんなこと思ったかというと、このアルバムの16曲目「Auld Lang Syne(蛍の光)」(あ、これはスコットランド民謡か)を聴いたからではなくて、12曲目「Hell Bound Train」の「限界LOVERS」風のリフの応酬が素敵すぎたから。意味わかんない文章ですいません。いまだに詫び助。